虐待を受けて育った人の生き方とは?孤独・内向きは間違いなのか?

虐待を受けて育つと、人生への影響は小さくありません。
大人になった後も負の遺産となってのしかかってきます(というより、本当に支障が生じてくるのは成人してからです)。

他方で大人になるにつれ、当人に対する社会の理解は難しくなってきます。

その結果、

  • 人とうまく関係を築けず、生きづらさに悩まされる
  • 誰にも理解されず、孤立してしまう
  • 「いい年して虐待を言い訳にするなよ(親のせいにするなよ)」と言われ、さらに傷つけられる

などといった経験も少なくありません。

そこでこの記事では、こうしたいわゆる虐待サバイバーがどのように生きていったらよいのか、筆者の体験も踏まえながら考えてみたいと思います。

特に文献を読みあさったりカウンセリングを受けてみたが期待したほどの効果がなかった(自分には合わなかった)という方は参考にしてみてください。
万能の解決法や即効性のある回復法など存在しないので、一緒にじっくりと考えていきましょう。

この記事の執筆者

幼少期から全身に大けがを負うほどの凄惨な虐待を父親から受けて育つ。
一方、その父親と学校側との絶え間ない衝突・対立から、あまり通学をしないまま子供時代を過ごす。
中年にさしかかる頃、孤独の中でようやく自身の存在に気付き始め、築いてきたキャリアと人間関係を全てリセット(偽りの人生に終止符を打つ)。
現在は実務の第一線を離れ、人生の夢と希望を追いながら奮闘中。

目次

虐待を受けて育つとどうなるか~その特徴とデメリット~

最初に、虐待を受けて育つとどうなるか、その特徴とデメリットを簡単にまとめておきます。

  • 人間関係に過敏になり、常に他者の顔色を窺うようになる
  • 過去の虐待体験に苦しめられる(フラッシュバック)
  • 思考や感情が歪む
  • 他者との関係を上手く築けない
  • 孤立し、ネガティブな思考に陥りがち
  • 周囲や社会への不満や怒りが溜まり悪循環へ

虐待を受けて育つと、人は人間関係に過敏になります。
結果、怒られないように、嫌われないように、と顔色を窺うのです。

自分の価値観や主張は表に出さず、仮面を被り、人によっては、なんとか機嫌を取ろうと演技をします。

他方、周囲からすると、「違うんだよなぁ~」といった具合で、うまくコミュニケーションがとれません。

筆者も仕事の上司から「錆びついたクラッチのようだ」と言われたことがありました。
いろいろと努力しようとしましたが、かえってギクシャクしたりオカシクなってしまうのです。

そこでつい自分の不遇な境遇や虐待経験を口にしてしまうのですが、これが人間関係をさらに悪化させてしまいます。

また、過去の経験等を口にしないまでも、自分を捨ててまで気を使ったり、演技することに過剰な負担を感じ、
結局、人間関係に距離を置く(あるいは壁をつくる)ようになっていきます。

いずれにしても、最終的には孤立であり、ネガティブな感情から周囲や社会に恨みを募らせるようになるかもしれません。

人によってはお酒やギャンブルにのめり込むなど、生活や人生そのものを破綻させてしまうこともあったりします。

即効性のある解決法が見つかればいいのですが、なかなかそうもいきません。

虐待を受けて育った人を完全に理解する人はいない

非常に酷ですが、ここで大切な真実を述べておかなくてはなりません。

項目の通りですが、たとえプロの精神科医やカウンセラーでも100%完璧にはあなたを理解することは困難です。
理解する努力や回復の道筋の案内役はしてくれるでしょうが。

ましてや一般の人に(理解を求めて)虐待経験と結びつけて話をしようとすれば、通常は愚痴(あるいは責任転嫁)に聞こえてしまいます。

ただでさえ人間関係が築きづらいのに、虐待経験を持ち出そうものなら、あなたに同情するどころか、全くの逆効果(表面的には「大変でしたね」などと言ってくれますが)。
企業組織なら、当然ながら評価や信頼は一発アウトです。

もし仮に真の理解を期待できるとしたら(虐待元かもしれない)御家族ぐらいでしょう。

そうした辛辣な反応に対して、通常、何が起こるか。

トラウマが悪化するのはもちろん、他者や社会への憎悪が湧いてくるかもしれません。
その結果、人間関係のさらなる悪化へと悪循環に陥るのです。

ですが、こうした状況にも慣れていき、上で述べた通り、無意識のうちに人との距離ができ(あるいは壁をつくり)孤立していきます。

虐待トラウマからの回復①:期待しづらい解決法

ここからは、そうした虐待サバイバーが一体どうしたらよいのか、どうやって生きて行ったらよいのか、について言及していきます。

まずは一般的によく言われる対応策から。

環境を変える(転職を含む)

一番良く言われることです。

一見すると、ゼロから再出発できそうにも思えますが、そう簡単にはいきません。

環境というのは自分の外側ですが、通常はそこに新たな対人関係が待っています。
他方であなたは、あなたのままです。

あなたが変われない、という意味ではなく、それがあなた自身なのです(変わったらあなたではなくなってしまいます)。

そんな中、環境を変えてもまず同じことの繰り返しになるのではないでしょうか。

他者と積極的に関わり視野を広めようとする

これも同じ。
他者の価値観や論理があなたには当てはまりません。
また、上で解説した通り、その他者があなたを理解することも、まずありません。

「自分を変えなきゃ」と(あなたを理解もせず無責任に)言う人がいますが、
あなた自身が疲弊する可能性が大です。

読書も然りで、結局は多くが(参考にはなるが)一夜漬けの知識程度でしかないでしょう。
人間の知識・経験などたかが知れており、表面的な問題点を指摘できても、あなたを別人に変える魔法などありません。

仮に役に立ちそうなノウハウ等があったとしても、一般論として述べられている内容と、あたなの内で起きていることには隔たりがあるのです。
本の通りに実践しても、トラウマ自体の消滅は期待しづらいと思います。

成功体験などの実績を積む

自己肯定感を高められる、とのことですが、どこまで到達できるかは不透明です。

通常「成功」とは外からの(他者からの)評価を伴う客観的なものです(対して「幸福」とは自身の内側での主観的な感じ方です)。

つまり、それなりに対人関係が安定し、その中でも相当のパフォーマンスを発揮していかなくてはなりません。

確かにメチャクチャ高い評価ではなく、「自分もやりさえすればできるんだ」レベルでも十分のこともありますが、
やはり他者との関係・評価から得られるものです。

しかも、そのレベルの場合、(相手である)他者が相当理解ある人(会社)でなければ、これまた難しそうです。

虐待を受けて育った方の多くが、対人関係で自意識過剰になっている一方、相手方に相当気を使わせてしまいます。
結果、お互いが疲れてしまうのです。

筆者の、でっち上げられた成功(?)体験の末路:
筆者も、不本意な仕事をそれなりに頑張ってやり続けたものです(士業)。
他方、虐待サバイバーでもあるため、人間関係が上手くいきません。
それでも仮面を上手くかぶり続けた結果、昇進(事務所パートナー就任)のオファーなどがあったものです。
もっともそれは、周囲の顔色を窺いながら演じた操り人形の見栄えが少しよかっただけの話。
魂の欠片も込められたものではありません。

確かに報酬は悪いものではありませんでしたが、もはやカネや名声などただのゴミ。
自身への評価など、有害無益以外の何ものでもなく、今後は禍の種となって降りかかってくるのが目に見えていました。
結局、嫌で嫌でたまらなくなり、事務所を辞め全ての人間関係を清算したのです。
勿体ないことを…との声もありましたが、むしろ遅きに失したとの後悔の念で一杯でした。

虐待経験者同士のグループなどに参加する

最初のうちは互いに共感を得られるかもしれませんが、やがて単なる傷のなめ合いで終わる可能性が高いです。

プロのカウンセラーがついていたりすれば変わってきますが、虐待経験者が集まって話をしても、時間が経つにつれ虚しく感じてくるでしょう。
ただの愚痴のこぼし合いにしかならないのです。

また、最悪、”どっちの苦労が大変だったか”などの不幸の競争、なんてことにもなりかねません。

結婚?

時々います。
家族を持ったり、子供ができたら(自分は)変われるのではないか、救われるのではないか、と思う人。

中には経済的な事情から結婚を決意する人もいるようですが、十中八九、結末は…お察しの通りです(特に女性)。

稀に結婚することで幸せになれた方もいるようですが、賭け(ギャンブル)的な要素が強すぎます。

しかも賭けに敗れた場合は、悲惨な末路が待っていることが多く、最悪、自死なんてことも。

そこまでいかなくても、パートナーが相当の理解者でない限り、自分の人生の絶望を生まれてきた子供に向けてしまうことすらありそうです(いわゆる虐待の連鎖というやつです)。

虐待トラウマからの回復②:精神科受診・カウンセリングは有効か(私見)

ケースバイケースですが、一度は受診や相談してみる価値があると思います。

ただし絶対的なものでもなければ、特効薬でもないことは胆に銘じておくこと。

相手はプロですから、一般人より信頼できますが、やはり仮説に基づく推論的なところが避けられません。

あなたの心や頭の中で何が起こっているかを100%完璧に知ることは難しいでしょう。
医師もカウンセラーも神ではありませんから。

よくあるケースは、自分の有する膨大な知識や仮説、そして経験に(強引に)患者側のケースを合わせてしまうこと。

経験豊富なベテラン者にありがちですが、経験に溺れると、でもいうのでしょうか。

むしろ、二人三脚で一緒に考えてみる、くらいのスタンスでいてくれた方が、あなたにとっても受診しやすいと思います。

なお、カウンセリングは(内容次第ですが)保険適応でないことが多く、例えば相談料1時間当たり5,000円~1万円などとなっていたりします。
経済的にも大変ですが、それに対する即効性はあまり期待しづらいかもしれません。

また、実際は、そこからが本当のスタートであり、チャレンジです。
カウンセリングを受けて、ハイ回復、とはいかないものなのです。

しかもカウンセリング(の場)は一般社会ではありません。
通常は料金を払っての特別の場所となります。

(一般社会との関係では)孤独な状態のまま、ということです。

注:虐待で深刻なトラウマを負っている場合は、(たとえ友人であっても)素人のアドバイスを受けるのは基本的に避けるべきです。さらに症状を悪化させかねません。

精神科医よりカウンセラーの方がマシ?:
筆者も一度だけ、精神科を受診したことがあります。
ベテランのようですが、結論的には「甘えだ!」と言わんばかりに一蹴されたのを覚えています。(「自分で解決するんだな!」的な放り投げるような対応でした)。

かなり昔の話であり、このケースだけで精神科医を一括りにするのもどうかと思いますが、
やはり医師のスタンスには相当バラツキがあるようです。
特に筆者の場合の医師は、一方的かつ傲慢であり、患者主体の姿勢からは程遠いものでした。
その時、筆者は医師の顔色を窺い、最後は模範的な患者の素振りをしていたように記憶しています(とにかく一刻も早くそいつから離れたかった)。

ですので(他の診療科と異なり)精神科医との付き合いは慎重にした方がよい、というのが筆者の意見です。
同じような話を聞いても「これでは無理だな、伝わらないな」と思わせる医師の言動が多過ぎるような気がします(今日の、特に若いドクターは変わってきているかも…)。

他方、カウンセラーは基本的に聞き役(案内役)に回ることが多く、こちらが信頼して話せることが多そうです。
絶対に回復できる、というものではないものの、それなりの道筋は見えてくるかもしれません。

ただし、それまでコストがどれくらいかかるのかは不透明です。
またカウンセラーの質(のバラツキ)はもちろん、当人との相性も大事ですから、この辺りもふくめて医師同様、慎重にならざるを得ないと思います。

虐待トラウマからの回復③:孤独への覚悟

「例外」

この言葉を好意的に思う人は殆どいません。
自分を「例外」視することは、自分自身の発展や成長を妨げてしまうというのが一般的です(要するに「甘えの」土壌を自ら作ってしまうということらしい)。

また今日ではこの「例外(者)」を「身勝手(な者)」として否定的に受け取る風潮すらあるようです。

だからこそ敢えて言いたい。

孤独であり、自分が「例外」であることの覚悟を持ってほしいと。

上でも触れましたが、虐待を受けた人たちは、やがて人との関わりに多かれ少なかれ隔たりを持とうとします。

年齢が高くなると自然とそうなるでしょう(特に40歳過ぎた人間に対してお節介を焼いてくる人もいません)。

他方で、もし仮にあなたが、真に理解を得られると感じるパートナー等に1人でも出会えたら、それは大変素晴らしいことです。

でもそういう出会いが無ければ(通常はその可能性が高い)、孤独への覚悟が必要です。

例外者としての生きる道であり、異世界からきた異星人(?)としての自覚と言ってもよいでしょう。

なお、ここで参考までに、ある哲学者を紹介しておきます。

キルケゴールという人ですが(実存主義の第一人者で、高校の「倫理」という科目でも項目の最初に登場します)、
時間があったら書店の大学受験のコーナーを覗いてみてください(共通テスト用の「倫理」の参考書などで簡潔にわかりやすく紹介されています)。

キルケゴール自身、自分を例外者だと捉え、最終的には(個人独りで)信仰に拠り所を求めていたそうです。
他方、第三者的には身勝手な存在に映ったらしく、孤立を深めていった末、短命だったとのこと。

(筆者の個人的な印象ですが)参考書等を見ていると「この人物を見習ってほしくない」的に紹介されているように感じます。

しかし、だからこそ「例外的な存在」を考える際の参考になるような気もするのです。

虐待トラウマからの回復④:職業はどうするか(参考)

少し余談ですが、虐待サバイバー向けの職業・仕事について触れておきます。

他人との積極的な関わりをできるだけ避けてできる仕事、というのが一つの基準です。

人づきあいが苦手という方にも多そうですが、虐待サバイバーで見らるのが次のようなものです。

  • 著述業・ライター
  • 塾講師
  • ネット関連の在宅ワーク

最初の著述業の中には(頭角を現すのは大変なものの)作家志望という方も少なくないようです。

最期のネット関連の在宅ワークなどは今日ではイケそうな感じもしますが、
実際はリアルの世界をはじめ、他者との積極的な交流が無ければ、まとまった安定収入は難しそうです。

なお、塾講師などは案外穴場かもしれません(通常は子供相手なので比較的取り組みやすいとのこと)。

虐待を受けて育った人のご家庭は、教育熱心(過熱?)なところが多く、本人は進学校出身者だったりします。

適性がある場合が多く、収入も悪くはないでしょう(ただし塾や予備校によっては競争が激しい点は要注意)。

虐待トラウマからの回復⑤:あなたの中に秘められている、生きるための術とは

繰り返しになりますが、あなたを真に理解してくれる(無限に受け入れてくれる)人が1人でもいればそれが理想です。

ただし、そうでない場合が多いので、ここでは孤独下での生きる術についてお話していきます。

人生の目標や希望を持つ

上でいくつかの対応策を紹介しましたが、どれも外側へ目を向けています。

それに対して筆者がオススメしたいのがご自身(の内)に向けての対応となります。

もちろん、これをしたからと言って、過去の体験によるトラウマが完全に消えるわけではありません。
残念ながら、生涯続くものと思って間違いないでしょう。

そこで

「自分は負の遺産を背負い、満身創痍の人生を送っている。
しかも誰にも理解されず、孤独である。
でも希望はある。自然と打ち込めるものがある、つらい出来事を忘れられる。」

こうした心境に辿り着けるようにしてゆくのです。

そのためにはあなたが自然と無我夢中になれることを見つけるのが早道。
(可能性がゼロでなければ)何でもよいのです。むしろ、実現するまでの過程(プロセス)が大切と言えます。

一生、実現することができないかもしれない。でも希望を捨てなければ可能性はなくならない。
こんな感じです。

ある意味で孤独であればあるほど成し得る究極の生きる術と言えるでしょう。

例えば具体的には次のようなものが挙げられます(極端なものもありますが、あなたは「例外者」であることを忘れずに!)。

  • 物理学や歴史を思う存分研究してみる(自己流でOK!)
  • ピアニストや作家等、芸術家として成功する(注:楽器演奏をゼロからやるときは注意~後述~)
  • 外国文化との橋渡しをしたい(そのために英検1級や通訳の勉強をする)
  • 難関国家資格を目指す(実務だけがその目的ではない)

など。

年齢や適性の問題もありますが、可能性がゼロでなければ(0.001%以下)でも大丈夫。
むしろ、達成が難しいからこそ、現在進行形で人生を楽しめる可能性が限りなくあるのです。

結果的に過去のトラウマを忘れるくらい無我夢中になれればそれで十分です(注:トラウマ自体を無理に否定する必要は全くない!)。

それはあなた自身が知っています。

前向きの姿勢や自信が芽生えてくるのは、自分の人生に手ごたえを感じていることに他なりません。

また、他者との能動的な関わりは、この後の段階、ということになります。

まずは身近な(小さな)目標や希望を持ってみる~そのオススメと注意点~

目標や希望を持て、と言われても、「そんなのないよ、すぐに思いつかないよ」という方も多いでしょう。

そこで少しでも興味があれば(なんだか面白そうだな、ぐらいで十分です)とりあえずやってみるのがオススメ。
あまりあれこれと深く考える必要はありません(むしろ考えすぎない方がよい)。

まずはコンスタントに3カ月ほど取り組んでみます。

その際、次のような感じであれば順調です。

  • 無我夢中で時間が経つのが忘れられる
  • 取り組んでいること自体がワクワクする
  • 成果が楽しみ

要するにポジティブな気分でいられることが大切です。
例えば「今日はどんなテーマに出会えるのかな」「今回は上手くできなくて悔しい。次こそ何としても必ず!」といった具合なら理想的。

あなたが独立した存在として人生を歩んでいる証拠です。

逆に

  • こんなことして何になるのか
  • 自分は一体、何やっているのだろう
  • 周囲の目が気になる
  • どうせうまくいきっこない
  • 過去の忌々しい体験から逃れるために(仕方なしに)やっているのだ

こういったネガティブな(後ろ向きな)感覚が沸いているのなら、すぐに止めて他のことを探しましょう。

なお、比較的取り組みやすいものとしては、次のようなものが挙げられるでしょう。

  • 英語学習
  • 学術的なテーマを決めて勉強する(歴史、心理学、社会学、など)
  • 料理

英語学習などは定番で、各自、英検などの目標なども設定しやすいです。
また、将来、ネット上でブログを英語で書く、海外の人たちとの橋渡しになりたい、などの目標があればさらに効果があるでしょう。
実用から教育まで様々な途が開けるのも魅力です。

しかもコスト的に安く済む一方、オンライン英会話などを活用することも一考です。

特に外国人講師の場合、言葉の壁が丁度良い距離感を作るため、心理的負担が少なくなります。

ただし英語学習の場合は、基礎が大切で、もし取り組むなら(先々の進歩を見越して)中学高校レベルの基本的な英文法と単語くらいは習得しておく方がよいでしょう。

学術的な勉強も定番で、近年は大人のやり直し学習が盛んです。

分野は様々ですが、こちらも英語同様、新たな発見や進歩前進が期待できますが、やはり基礎が大切。
雑学レベルでもよいのですが、ある程度体系的に勉強すると、先々さらに興味が湧いてくると思います。

なお、一般的には数学を使わない、いわゆる文系科目(あるいは生物系)がオススメと言われています。

そして料理。
近年は年齢を問わず男性にも人気があります。
You Tubeなどでもクッキング動画は豊富ですし、料理教室に通ってもいいでしょう。
プロの料理人を目指すのではなく、個人の趣味レベルなら十分楽しめるはずです(ただし教室はコストが少しかかる)。

他方、気をつけたいのが楽器演奏。
初心者は独習が難しい一方、習い事としては少し(心理的に)キツイかもしれません。

ワンツーマンで他者から指導を受けることが多いのですが、(たとえ個人の趣味であっても)楽しさよりも厳しさを感じのが通常です。
教える側は上手くなってほしい一心でいますが、過去のトラウマ経験もあって、長続きは難しそうです。

自分なりに信仰を持つのもアリ

少しデリケートな内容なので、参考程度にコメントを残しておきますが、
個人的には信仰心は大切だと考えています。

誤解してほしくないのは、どこかの宗教団体に入れ、とか、○○教の信者になれ、という外観的なことではありません。

上で紹介したキルケゴールではないですが、あくまでご自身の内面の問題です。

どうしてもトラウマ等から抜けられない場合の、最後の拠り所とも言えるでしょう。

例えば皆様は初詣や合格祈願で神社仏閣等に参拝されたことがあると思います。
その時を思い出してもらいたいのですが、真摯にお願い事をしたり、人によってはワラをもすがる思いだったのでは?
その気持ちプラスαがあれば十分で、その感覚を少しずつ日常に取り込んでいきます。
最初から(100%完璧に)○○の神はいる、などと信仰する必要はありません。

筆者の勝手な推測ですが、
心に深い傷を負っている虐待サバイバーだからこそ、天に向かって感謝したり素直に助けを求めたり等、手を合わせられるのではないでしょうか。

そうすることで、最悪の事態だけは避けられるような気がするのです。

なお、仏教やキリスト教などに関心を持つのは良いのですが、一点だけご注意を。

それは例えばYou Tubeなどで宗教関係の動画が多く出回っていますが、歴史的な解説を超えてしまっているものは注意が必要です。

なぜなら、本来の教えを超えて現代風に解釈してしまっており、言ってみればビジネス書や啓蒙書などで見られる論調のものが少なくないからです。

残念ながら、そうしたものの多くが、あなたの置かれている状況(さらには存在)を否定的に見る内容が多く、参考になるどころか、さらに傷つけられる可能性があるからです。

なお、虐待経験からトラウマを持つ人は、(表面的な演技ではなく)真に他者に対して感謝したり、教えを乞うたりすることが難しいもの。

そんな時は天(大自然)に対して感謝したり、手を合わせたりするのが一番だと筆者は思うのです。
それならできるはずです。

結論:生きる秘訣は自分の内にある

結論として、まずは自身の内側と向き合い、真に拠り所となるものを見つけるのがベターと考えます。

一般的には「外を向いて他者との交流を通じて~」と言われますが、順序が逆です。

人間は(記憶喪失や人格分離?などでもしない限り)自我や自身から抜け出すことはできません。
過去のトラウマもまず、それがあなた自身の一部を構成してしまっている以上、生涯付いて回るものです。

この辺りを否定する人が多くいますが、この辺りの妄言はシャットアウトしないと、いつまで経っても同じことの繰り返しです。
こういう人たちはあなたを理解しようともしないし、あなたの人生に責任を持ってもくれません。

ですので、重複しますが、まずはあなたの内面に秘められているものに静かに耳を傾け、真に拠り所となる何かを見つけてほしいと思います。

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